「異言と預言」その① 1コリント 講解 第23回

コリント人への手紙第1 講解 第23回(2018.06.24)
聖書箇所 1コリント 14章1節~4節

聖霊の賜物を用いる絶対的な条件は「愛による」ことです。
愛がなければ、その価値は失われます。
聖霊の賜物としての異言と預言について考えてみましょう。

「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。(2節)」

ここで言う異言とは、ペンテコステの日に下った聖霊の賜物としての異言とは少し異なっています。
ペンテコステの日に、弟子たちは「他国のことばで話しだし」とあります。
各国から集まっていた人々はそれを聞いて驚いたとあります。
このことから、この場合の異言が人々に聞かせるために語られたことがわかります。

それに対してここでパウロが言及している異言は、「人に話すのではなく、神に話す」異言であると言っています。
それは人々に理解してもらうためではなく、神さまとの個人的な交わりである異言です!
異言には種類があるようです。

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」(1コリント 13 : 1)
①人間の言語であることもあれば、
②人の理解を超えた、賛美や祈りのために用いられる御使いのことばでもあります。
異言の賜物を持つ人は、賛美や祈りにおいて神さまと語るため、また聖霊によって神さまに祈り歌うために用いられます!(1コリント 14 : 15)
それは誰かに聞かせるものではなく、神さまに語り、奥義を話しているのです。
異言は、基本的にはその人自身の霊性を建てあげるために、聖霊さまがとりなしてくださるのです。

「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」ローマ 8 : 26

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