「復活のからだ」 1コリント 講解 第25回

コリント人への手紙第1 講解 第25回(2018.07.08)
聖書箇所 1コリント 15章12節~58節

生きている人間にとって、必ず訪れるのが死である。
人間にとって死ほど平等なものはないかもしれません。
どんなに富んでいても貧しくても、教養があってもなくても、年齢に関係なく、すべての人に訪れるものです。
しかし復活の福音を信じる者の死は、ただの終着駅ではなく、永遠のいのちへの乗り換えターミナルであります。
クリスチャンは皆「生きるために死ぬ」のです。

①復活の初穂としてのキリスト

20節「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」
22節「キリストによって、すべての人は生かされる」これが復活です。

私たちの信じる福音は、イエスさまの十字架と贖い、罪からの解放だけでは不十分です。
この復活信仰がなければ、福音に力はありません。
復活は、十字架と並んで福音の中心です!
イエスさまの十字架の贖いと死の代価は、私たちが罪赦され、「永遠のいのち」を賜るための絶対必要条件です。
でもその贖いの代価の死も、復活なしには無効であり、復活なしには救いはあり得ません。
福音は、十字架の贖いと死、復活がセットではじめて、「救いを得させる神の力」となるのです。
罪人を救うのは、キリストの教えや教義ではありません。
それができるのは、イエスさまの流された血潮と復活の力です!

②復活のからだ 35節~44節

復活はただ死んだ人が生き返ることではありません!
ヤイロの娘やラザロ、ナインのやもめの息子など、これらの人々は再び死を迎えなければならない「肉体」で生き返ったのであって、これは蘇生です。
キリストにある復活とは、もはや死ぬことのない朽ちない霊の体によみがえることです。
死んだ人間が、死ぬ以前の体を取り戻して生きることではありません。復活は再生ではなく、新生です!
かつてのいのち、からだの回復ではなく、全く新しいいのちとからだを与えられて新しく創造されることです。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする