「人から責められるとき」箴言の黙想 学び第12回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.11.24)より
聖書箇所:箴言 17章 10節

「悟りのある者を一度責めることは、愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。」10節

何度言っても分かってくれない!

という経験を、みなさんもしたことがあるかと思いますが、人の心とは実にそのようなものです。福音書において、パリサイ人、律法学者たちが、イエスさまから何度も戒めや叱責を受けたにも関わらず、いっこうに悔い改めようとせず、最後はイエスさまを十字架につけてしまいました。エジプトの王パロも、そうでしたね。10度もしるしを見て悔い改めるチャンスがあったのに、ついに神さまは彼の心をかたくなにされ、エジプトに神さまのさばきがくだされます。

しかし、悟りのある者は一度戒められると

その事を心に秘めます。だから箴言には、悟りを得よ、知恵を得よ、という命令がたくさんあるのです。その悟りとは、私たちの小手先の入れ知恵ではなく、神さまのことば、イエスさまの十字架に繋がります。聖霊さまによってイエスさまの十字架が心にしっかりと刻まれていくと、自分自身ではどうしても変えることのできなかった心の深い部分にある自我を変えていただくことが出来ます。つまり、素直に自分の罪を認めることができるようになります。

私たちの人生の歩みにも、人から責められるこが多々あります。

その時、私たちはどのように対処したら良いでしょうか?もし自分に落ち度があるなら、素直に認めましょう。もし責めてくる人に問題がある場合は、無理に反応しなくても良いでしょう。境界線をきちんと持つことも知恵のある行動の一つです。無駄に争わないことも愛のある行動なのです。聖書には、あなたの敵を愛せよ(マタイ5:44)とあります。だからと言って、すべての責めをあなたが負う必要はありません。

「しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。
私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。」
コリント人への手紙 第一 4章3~4節

敵からの批判や判決をパウロのように「非常に小さなこと」として処理できたら何と幸いでしょう。その秘訣は、イエスさまの十字架の前にその問題を持っていくことです。すべての知恵はイエスさまから来ます。いつも、イエスさまの十字架の恵みの前に出ていきましょう!ハレルヤ。