「生活のすべてにおいて」ペテロの手紙第一 講解 第8回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.9.21)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 13-16節

13ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
14従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
15むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
16「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。

「生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい」

聖書の新改訳第3版では、「あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい」
詳訳聖書では、「生活態度についてきよいものとなりなさい」と訳されています。
神は私たちの生活の全て、あらゆる行い、つまりは生活態度において私たちが普段からどのような態度で生活しているかをご存知です。

「生活のすべて」と訳された言葉の元の意味は、「真ん中に向きを変える」という意味があります。「真ん中」とは、内に住まわれる聖霊なる神に向きを変える、つまり生活のすべて、あらゆる行い、生活態度のすべてが神に向いていることを指しているということではないでしょうか。そのようにして私たちはキリストに倣う者として、聖くなっていくのです。

注意したいのが、ここで聖書が言っているのは

「生活のすべてにおいて聖なるものとなりなさい」とはただの命令ではなく、受動態の命令であるということです。わかりやすく日本語にするなら、「聖なるものとされなさい。」です。もし「聖なるものとなりなさい」が、「あなたの努力できよくなりなさい」と言われているなら、それは不可能であり、私たちには絶望しかありません。聖なるものとされなさいとは、動作の主体は自分以外であるということです。つまり、主体は神ご自身なのです。

聖化とは神様が主体であり、与えられる恵み、祝福です。だからこそ、神から与えられる恵みによってなされていくのでなければ、神の恵みよりも人の努力が上まわることになってしまいます。私たちにできるのは神の方を向いて日々の生活を営んでいくことです。その中で神ご自身が私達をきよく変えていってくださるのです。ハレルヤ!