「神を恐れる生活②〜救いの代価の大きさを認識する」ペテロの手紙第一 講解 第11回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.10.12)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 18-19節

18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

「先祖伝来のむなしい生き方」

それは、ユダヤ人として律法を必死で守っていた先祖たちの宗教生活を指しています。私達日本人にも、「先祖伝来のむなしい生き方」があったのではないでしょうか。神社仏閣、仏壇や神棚、日本の民族的、社会的習慣などです。それはいのちがない、虚しい生き方でした。このような生き方から私達は「贖い出された」のです。

贖いは奴隷を解放する時の言葉です。代価を払って奴隷は自由にされます。普通の奴隷であれば、銀や金で自由にすることができますが、罪の死の支配から私たちを救うことはできません。銀や金は朽ちる物であり、通用するのはこの地上だけで永遠のものではないからです。しかし私たちの贖いは「傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血」(19節)によって実現されました。

かつてイスラエルの民はエジプトで奴隷とされ苦しんでいた時、

モーセに導かれてエジプトを脱出しました。彼らは、傷のない子羊の血を自分の家の門柱と鴨居に塗るように命じられました。それは、エジプトを打たれる神ご自身がその血を見て、その家を過ぎ越すためでした。人々はその血によって神の裁きを免れることができ、エジプトを無事に脱出しました。こうして奴隷状態から解放されたのです。(出エジプト12章)

出エジプトの出来事は十字架の型として予告され、救いと解放がイエスキリストによって実現しました。

「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。」
へブル人への手紙 9章12節

神のひとり子が人となり、私達のためにその命を犠牲にされました。その犠牲には無限の価値があります。私たちは神ご自身が支払われた代価の大きさに驚き、恐れをおぼえます。神を恐れるとは、そういうことなのです。