「神を恐れる生活③〜信仰と希望は神にかかっている」ペテロの手紙第一 講解 第12回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.10.19)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 20-21節

20:キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
21:あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。

私たちの救いは、神ご自身による永遠のご計画の中で用意されています。

救い主が来られることは思いつきではなく、用意されたご計画です。私たちはその恵みにあずかっているのです。また神は、救い主「キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた」と言われます。死者のよみがえりという、私たち人間にはできないことをしてくださいました。

神ご自身が実現された、十字架の犠牲と復活の御業によって私達は救われました。私たちは、(21節)キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。キリストのゆえに信じる者とされました。

そしてペテロは「ですから、」と続けます(21節:後半)。「あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。」と結びます。私たちの力、私たちの知恵によるものではないのです。私たちにはどうやってもできない事だからこそ、私たちの信仰と希望は神にかかっているのです。私達はただ、神様によって用意された救いに、神によってあずからせていただく者なのです。

私達は救われたその後も、罪に対する葛藤を持っています。

クリスチャン生活は、神と親しく交わるほどに自分が罪人である事がよくわかっていきます。その度に、自分で自分を救えないことを思い知っていくのです。しかしそのような私達が救われ、100%恵みによって罪を許され、神の子とされたのです。そのために神は驚くべき犠牲を払われました。私達が救われるための一切は神の御手によるものです。私達は何もできず、全てが神によって用意されたのです。ですから、私たちは神を恐れるのです。

キリストの尊い血によって救われたことを感謝しましょう。そして、神の愛を喜びつつ、これほどまでに私達を愛して下さった神を恐れつつ、日々を過ごしていきたいと願います。