「互いに愛し合う②」ペテロの手紙第一 講解 第14回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.11.2)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 22節

あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。

愛は一方的に要求するものではありません。

相互の関係性によって表されるものです。私達は愛する時に「期待」することで、相手に要求してしまいます。夫は妻に期待し、妻は夫に期待します。お互いが思い通りに動いてくれないと不満を持ちやすいのではないでしょうか。様々な人間関係においても、多くの場合自分が相手にしてあげることよりも、してもらうことに関心が向けられます。そういったことを超えて、互いに愛し合うことをペテロは勧めています。

22節「互いに熱く 愛し合あうように」とあります。

「熱く」の言葉の意味は、「身を乗り出す」という意味があり、自分の身体を乗り出すようにして、他の人と関わることを表しています。それは、他の人が必要としていること、他の人の益になることを積極的にするということです。ペテロはこのような愛がどこから出てくるのかを明らかにしています。

「あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、」と、互いに愛し合う前提、理由があることを教えます。もし単に、「互いに愛し合いなさい」と命じているだけなら、聖書の教えは単なる倫理や道徳になってしまいます。また、実行不可能な課題を私達に与えているのなら、ただの「良い話し」で終わってしまうでしょう。

しかしそうではないのだと、ペテロは神がしてくださった事実をもって教えています。それは、キリストにより私たちは、「兄弟愛を抱くように変えられた」という事実です。

私たちは、イエス様の十字架によって罪が赦され一方的な恵みを体験し、そのひとり子をお与えになった神の大きな愛を知りました。その結果、私たちはたましいに平安を得て、きよめていただいたのです。そして、「偽りのない兄弟愛を抱くように」なりました。キリストの救いを得た人たちの変化の一つが、他者に対する関心が変わってくることです。信仰の友、神の家族に対する思いやりや配慮できるようにされたのです。神はそのような変化を私達に与えてくださいました。だからこそ主は、「互いに愛し合いなさい」と命じられるのです。