信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2026年1月号より
さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。
ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。
【主】はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」
モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
そして言った。「【主】の御座の上にある手。【主】は代々にわたりアマレクと戦われる。」
出エジプト記 17:8~16
イスラエルがエジプトを出て間もない時、彼らは強敵アマレクと戦うことになります。430年間エジプトで奴隷として生きてきて、戦って勝ち取るなんて想像もしていなかったイスラエルの民が、主の戦いに挑みます。出エジプト直後のイスラエルはまだ未熟で、装備も十分ではなかったでしょう。山の上ではモーセが手を上げて祈り、その手をアロンとフルが支え、平地ではモーセのカバン持ちのヨシュアと選ばれた戦士たちが戦っていました。この戦いを通して、神さまはイスラエルの民に何を教えたかったのでしょう。そして私たちもそこから何を学ぶべきでしょうか。
まず、この戦いは「力の戦い」ではなく、主の旗のもとに一つになる「一致の戦い」でした。神さまは戦いを通して、一致することを教えられました。モーセが祈らなければ、モーセの手を支える者がいなければ、前線で戦う者が立たなければ、勝利はありませんでした。どれか一つでも欠けたなら、勝利はありませんでした。
霊的に適応するならば、私たちキリストのからだとしての教会も、この「一致すること」が重要な鍵となります。
モーセには、神の臨在の前に立ち、手を上げて祈り続ける役割がありました。アロンとフルには、支え続け、疲れを共に担う役割がありました。そしてヨシュアと戦士たちには、主の旗じるしのもと恐れずに前進する役割があったのです。それぞれ役割は違いますが、全員が与えられた役割を全うしました。
神さまは、ひとりの英雄を求めてはいません。キリストのからだとして組み込まれ、その役割に忠実であることを求めておられます。
モーセは神さまからの召しを受けて立ちますが、疲れたとき、アロンとフルの助けを素直に受け入れ、腕の力を二人に委ねます。神の国の働きに必要なのは「完璧な人」ではなく「支え合う人」たちです。アロンとフルが支えたから「日没まで」手を上げ続けることが出来ました。そして平地では、次世代のヨシュアたちが実戦で戦いながら前進します。やがて彼らが約束の地を勝ち取って行くことになりました。
戦いの後、モーセは祭壇を築き、こう宣言しました。「アドナイ・ニシ」=「主は私の旗」であると。勝利のゴールは自己実現ではなく、人数や成果を誇ることでもなく、主の御名が高く掲げられることです!
今年も、主の御名だけがあがめられますように。
ハレルヤ!
牧師 佐藤耕二
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