「苦しみを受けても②」ペテロの手紙第一 講解 第34回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.3.29)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 18-23節

18 しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
21 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず

 キリストのしもべとして、どんな主人にも誠実に仕えることは「神に喜ばれること」であり、ペテロは「このためにこそ、あなたがたは召されました」と語っています。続く21節後半では、キリストご自身も不当な苦しみを受けられたことが記されています。キリストは十字架の苦しみを通られ、信じる者がその足跡に従うための「模範」を残されました。

 不当な苦しみに直面したとき、主はどのような態度を取られたでしょうか。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず」(23節前半)とあるように、キリストは決して仕返しをなさいませんでした。感情に任せて「神の裁きが下るぞ」とか「天から軍勢が送られるぞ」などと脅すこともしなかったのです。それどころか、自分を十字架につけた者たちのために「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23:34)と祈られました。そして、「正しくさばかれる方にお任せになった」(23節後半)のです。

神がすべてをご存じであるからこそ、正しく裁かれる神にすべてを委ねる。それがイエス様の取られた態度でした。

キリストにある誉れ

 このことは、私たちにとっても非常に大切なことです。自分に非がないのに不当な扱いを受けたとき、あなたならどのような反応をするでしょうか。反論や抗議をしたくなるのは、人間として自然な反応です。それゆえに、黙って耐えることは非常に難しく感じられるかもしれません。

 しかし、キリストの十字架による愛が私たちの内にあるとき、私たちはすべてを耐えることができます。善を行って苦しみを受け、それを耐え忍んで神に委ねること。それこそが「キリストにある誉れ」であり、神の御前に喜ばれる歩みなのです。