「義のために苦しむことがあっても①」ペテロの手紙第一 講解 第42回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.5.24)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章 13-14節前半

「もしあなたがたが良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。」

これまでペテロの手紙を通して、

神に従って正しく生きようとしながらも、なぜ困難や苦しみに遭遇するのかという「不条理」の問題について教えられてきました。これはこの手紙の中心テーマであり、今回の箇所でも新しい視点から語られています。

世間からの反対を恐れるあまり、私たちが最初から身構えたり、周囲と戦おうとしたりすることは、クリスチャン本来の姿ではありません。中には、信者以外の人たちを敵のようにみなして関わりを断とうとする行き過ぎた考え方もありますが、聖書が教える私たちの基本的な態度は、あくまでも「他の人に善を行うこと」です。ペテロは、相手が誰であれ「良いことに対して熱心である」ようにと勧めています。誠実な善意は多くの場合、相手の心に届き、誤解や衝突を防ぐことになるからです。

しかし「善意で接していればすべて上手くいく」わけではないのが現実です。

パウロが「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(Ⅱテモテ3:12)と語ったように、どれほど善に励んでいても、避けられない「義のための苦しみ」は存在します。インターネットで世界が繋がり、多様性が尊重される現代社会であっても、クリスチャンとしての生き方を貫こうとすれば、時には孤立したり批判されたりすることがあります。

それでもペテロは、「たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです」と励まします。イエス様も「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5:10)と言われました。神に従うがゆえの苦難は、私たちが神の国の民である証しなのです。苦難の中でも失望せず、神の守りと天の報いを確信しながら今を生きることで、私たちは少しずつキリストに似た者とされていきます。キリストがそうされたように、私たちも周囲に善を行うことを、御霊によって選び続けることができますように。