「義のために苦しむことがあっても③」ペテロの手紙第一 講解 第44回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.6.7)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章17節

「神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。」

私たちは人生の中で色々なことに苦しみますが、

聖書はそれを大きく二つの種類に分けています。一つは自らの悪や過ちによって招く「自業自得の苦しみ」です。そしてもう一つは、神の御心に従うがゆえに受ける「善を行って受ける苦しみ」です。ペテロは後者のほうがよいと語ります。なぜ理不尽とも思える「善による苦しみ」のほうがよいのでしょうか。

その核心とも言える御言葉が、同じペテロの手紙の5章6節〜7節に記されています。

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

私たちは苦しみを神にゆだねることができます。

すべてが神の力強い御手の中にあり、神がちょうど良い時に高く上げてくださるという約束が与えられているからです。

 現在の世界は、神の御心から離れた結果、誰もが傷つき、病み、混乱の中にあります。私たちクリスチャンも例外ではなく、時に自己中心的になり、教会の中であっても争いや問題があり、罪の影響から完全に自由ではありません。また信仰を持たない周りの人々から理解されなかったり、悪く言われるような苦しみにあうこともあります。

しかし、私たちの救い主であるイエス・キリストは、そのすべての苦しみを十字架で背負ってくださいました。そして死をも打ち破りよみがえられたお方を信じる信仰によって、私たちはどんな苦しみの中にあっても、主を仰ぎ見ることができます。神が心配してくださることを信じ、思い煩いをゆだねるとき、私たちは絶望することなく、キリストの平安のうちに生かされていることに気づきます。そのような生き方にこそ、神の栄光が現されるのです。

 いま皆さんが置かれているその場所には、それぞれの戦いや苦しみがあるかもしれません。それでも、神の御心にしたがって、キリストのように善を行う者として、日々新しくしていただきましょう。