岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.6.14)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章17-18節
神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。
キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。
キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。
ペテロの手紙第一のテーマは「キリスト者の苦しみ」です。
新改訳2017で7ページ半ほどのこの手紙には、「苦しみ」「苦難」という言葉が18回も書かれています。他の書簡と比べても飛び抜けて多く、苦難の中にあるクリスチャンを励ますために書かれたことが分かります。
今週は3章18節の御言葉を読んでいきますが、ここを理解するには直前の17節「善を行って苦しみを受けるほうがよい」という言葉を受ける必要があります。ペテロは「善を行って苦しみを受けた最高の例」として、イエス・キリストの苦難を挙げています。
「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」(18節前半)
キリストは鞭打たれ、ののしられ、十字架にかけられて命を奪われました。この苦難は「正しい方」が「正しくない私たち」の身代わりとなり、罪の代価を支払うためのものでした。本来なら私たちが受けるべき罪の罰を、イエス様が代わりに引き受けてくださったのです。
ここで注目したいのは「一度」という言葉です。これは「ただ一度」とも訳せる言葉で、新約聖書が一貫して証しするキリストの贖いの重要な真理です。
ローマ6:10「キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり…」
ヘブル7:27「毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」
罪のない神の御子の死という、この「ただ一度の死」によって、神は私たち全人類の罪を完全に贖われたのです。この決定的な身代わりの恵みを私たちはいただいています。イエス様が受けた罪のための苦しみは、まさに十字架という最上の「善」を行って受ける苦しみでした。だからこそ、私たちが神のみこころによって善を行い、苦しみを受けることがあっても、主イエスが共にその苦しみを負ってくださるのです。


