岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.6.28)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章17-18節
神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。
キリストが私たちの罪のために、
私たちに代わってただ一度、十字架の死という苦しみを通られたことには明確な目的がありました。それは、人々を「神に導く」ことでした。
イエス様は確かに肉体の死を通られましたが、「霊においては生かされて」いました。人間の目に見える物質的な領域においては文字どおり死に渡されましたが、目に見えない霊的な領域においては生かされ、復活されたのです。
キリストの復活は、弟子たちが目撃した、まぎれもない体の復活でした。弟子たちは幻を見たのではなく、復活のからだをもって目の前に立たれるイエス様を見たのです。しかしその体は、十字架にかかる以前の体とは異なり、カギのかかった部屋に入ることができたりと、瞬間移動も可能な不思議な体でした(ヨハネの福音書 20章19節)。エマオに向かう弟子たちが、一緒に歩いていながら気づけなかったのもそのためです。パウロはこれを「御霊に属するからだ」と表現しました。
あなたがたを神に導くため
このように、キリストが十字架で死なれ、新しい体へと復活されたことで、私たちは神のもとに立ち返ることができるようになりました。ペテロが、主の苦難の理由を「あなたがたを神に導くため」と言うのはそのためです。イエス様は信じる者を神に立ち返らせ、霊的に死んだ者に「いのち」を与えるために死んでくださったのです。
【コリント人への手紙 第一 15章45節】
こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
イエス・キリストは、十字架の死と復活によって私たちを神に導いてくださいました。どうしたら神のもとに帰ることができるか分からなかった私たちの手を引き、真の神のところに連れて行ってくださったのです。


