「苦難から栄光へ①〜キリストの宣言〜」ペテロの手紙第一 講解 第48回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.7.12)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章19-22節

その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。

セカンドチャンスはない

 19節は、新約聖書で解釈が難しいとされる箇所の一つです。「捕らわれている霊たち」がだれを指しているのか意見が分かれます。そして、「セカンドチャンス」という解釈の根拠となる聖句がここです。セカンドチャンス論の解釈は、19節の「捕らわれている霊」が死んだ人たちの霊だとして、死後キリストの福音を聞いて救われるチャンスがあると期待します。しかし、文脈として20節以降に、なぜノアの時代のことが出てくるのか説明ができませんし、「金持ちとラザロ」(ルカ16:19〜31)を読むと、セカンドチャンスはないのだとわかります。では「捕らわれている霊たち」とは何を指しているのか?それは、私たち人間を神から引き離そうとする霊たち、すなわち悪霊のことであると考えます。

 19節で、「キリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました」とあります。何を宣言したのか?それは、キリストが死に打ち勝ったという「勝利」を宣言した、ということです。

イエス・キリストは一人の人として十字架につけられました。ただそれだけを見ると、人としては弱く無力な存在のように見えます。一見すると、神に従わない悪の霊が勝利を収めたように見えました。しかし実際はまったく正反対で、キリストは捕らわれている霊たち(悪霊)のところに行って、彼らに対するさばき、死からの勝利を宣言されたのです。このように理解するとき、この章の最後、22節のみことばが力強く私たちに響きます。

「イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。」
ペテロの手紙 第一 3章22節

キリストの宣言によって、悪霊ばかりでなく、あらゆる力を持った者たちが復活のキリストに従っているのです。私たちの救い主であるイエス・キリストはそのようなお方なのです。