岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.7.19)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 3章19-22節
信仰の苦しみにある神の民の型
ペテロがここで「ノアの洪水」の出来事に触れました。それは、ノアとその家族が、神のみこころに従うがゆえに「信仰の苦しみにある神の民」の典型(モデル)だったからです。
ノアは神を畏れ、当時の人々に罪深い生活を捨てて悔い改めるよう勧めました。しかし、人々はノアの言葉を聞かず、あざけり、蔑みました。そのような不従順な人々に背後で働きかけていたのが悪霊たちです。神が忍耐して待たれている中で、警告に従ったのはたった八人だけでした。そして彼らは箱舟に入り、水を通って救われました。キリストは、そのように彼らを苦しめた不従順な霊たちに対して、十字架の死と復活による、勝利とさばきを宣言されたのです。
この「水を通って救われる」ノアの姿は、現代の私たちが受けるバプテスマ(洗礼)の型でもあります。洗礼そのものが肉の汚れや罪を取り除くのではありません。洗礼とは、キリストの死と復活にあずかり、『私は完全に神のものとされ、これからは神と共に生きていきます』と、健全な良心をもって公に表す誓約なのです。
苦難のキリストこそ、私たちの勝利と栄光
十字架の苦しみを通られたキリストは、死に勝利し復活され、天に上って神の右の座に着かれました。今や、すべての御使いも権威も権力も、この方に服従しています。
パウロもピリピ人への手紙で「キリストは自らを低くし、十字架の死にまで従われた。それゆえ神は、この方を高く上げてすべての名にまさる名を与えられた」と、キリストを賛美しています。聖書が証しする「苦難のキリスト」こそ、私たちの「勝利と栄光のキリスト」です。私たちはこの方を仰ぎ見つつ、どのような苦難の中でも健全な良心をもって、再び主が来られるその日まで、一歩ずつ、 歩んでいくことができるのです


