「地上での残された時を③〜神のみこころに生きる〜」ペテロの手紙第一 講解 第53回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.8.16)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 4章1-2節

キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。

キリストの苦難に自分もあずかることを受け入れたクリスチャンは、

その苦しみの中で、実際的に罪との関わりを断ち、自分の自己中心的な生き方を離れて、新しい生き方へと変えられました。続く2節で、その目的と結果を明らかにしています。
「それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。」

「神のみこころに生きる」

私たちは、イエス様を信じていなかったときは、まさに「人間の欲望」という、自己中心的な欲望にしたがって生きていました。世界の中心は自分で、自分の成功、自分の楽しみ、自分の計画、自分のプライドが生活の中心にありました。しかし、そのような自己中心的な生活には、真の満足、真の平安、真の喜びはありません。自分の思いどおりにならなければ、イライラしたり、怒ったり、恨んだりします。もしくは、自己憐憫によって、惨めな気持ちになったり、無気力になるかもしれません。だからこそ、「人間の欲望に」したがって生きることから、「神のみこころに生きる」ことに変わることは、本当に幸いなことなのです。それは神の恵みであり、祝福です。

 イエス・キリストを信じて生きることのすばらしさがまだ理解できない方々は、そういう生き方は堅苦しくて窮屈な生き方ではないかと思うかもしれません。「神のみこころ」をいつも気にして、自分のしたいことがわからなくなり、自分というものがなくなるよう感じるかもしれません。しかし、それはまったくの誤解であることを知っていただきたいと思います。

「神のみこころ」を求めて生きるなら、自分への執着、自分のプライドや不安から解放され、心の自由を得ます。自分ですべての責任を背負い込んで疲れ果ててしまうような生活からの解放です。それに、「神のみこころ」を求めるということは、権力をもつ人の顔色をうかがい、まわりに忖度しながら生きることでもありません。神は、私たちが神と共に生きることを主体的に判断し、決断し、その選んだ道を責任をもって生きる、そのような勇気を与えてくださいます。今週も、神のみこころに生きる一週間となりますように。