「神によって生きるため②〜すべての人をさばかれる神〜」ペテロの手紙第一 講解 第56回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.9.6)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 4章3-6節

「あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。異邦人たちは、あなたがたが一緒に、度を越した同じ放蕩に走らないので不審に思い、中傷しますが、彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。」

神の御怒りとイエス・キリストの救い

 救われたクリスチャンが再び自堕落な生活に戻ってしまうことがないようにと、ペテロは一つの重要な事実を伝え、注意を促しています。
5節の「生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方」とは、言うまでもなく神のことです。自分の欲望のままに生きている人々は、いつかすべての人をさばかれる神の前に立ち、自分たちと一緒に快楽にふけらないクリスチャンを悪く言ったことも含めて、申し開きをすることになります。

昨今、教会で「神のさばき」があまり語られなくなったと言われます。「神は愛である」ゆえに、神のさばきや怒りといったテーマは避けられがちになっているのかもしれません。しかし、聖書は「神のさばき」を明確に記しています。耳に心地よいことだけを語り、真実を語らないのは本当の愛ではありません。神は愛であると同時に、聖であり、義をもって世界をさばかれるお方です。人間の目からは悪や不正が見逃されているように見えても、神は決して見逃すことはなさいません。罪を罪として正しくさばかれるのです。

だからこそ、神の御子キリストは、私たちの罪のために十字架で苦しみを受けられました。私たちはこの「神のさばき」の厳しさを忘れてはなりません。しかし同時に、キリストの十字架の贖いを受けている者は、すべての罪が赦されています。それは、私たちが神のさばきという御怒りから完全に救われていることを意味します。

神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
テサロニケ人への手紙 第一 5章9節

イエス・キリストの十字架の恵みがどれほど偉大であるかを深く知るとともに、値なしに注がれている神のあわれみに感謝し、今週も主とともに歩んでまいりましょう。