詩篇127篇の黙想②「勇士の手の中にある矢」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.5.8)より
聖書箇所:詩篇127篇 1節~5節

「若いときの子どもたちは実に 勇士の手にある矢のようだ。」
 詩篇 127篇4節

②次世代が建て上げられること。拡張性。

3~5節「見よ 子どもたちは主の賜物 胎の実は報酬。」

ここでの「子どもたち」というのは、実の子どもだけを指すのではなく、神さまからその町、共同体に与えられているすべての子どもたち、神の家族が当てはまります。その子どもたちはみな、神さまから与えられた贈り物であります。子どもたちは親の所有物ではなく、神さまからのプレゼントであり、その成長のために管理が任されているのです。

次世代を建て上げる

そして、その賜物である子どもたちがこの町の将来の繁栄と安全を決定づけていくのです。だから共同体には、次世代を建て上げていくという何よりも大切なミッションがあるのです。次世代を育てるというと、何かその世代だけのコミュニティを創るのが良いと勘違いしてしまいますが、キリストのからだが建て上げられるとは、親の世代と子の世代が共に建て上げられ、組み合わせられていくということです。霊的子どもたちを建て上げることは、親の世代が訓練されることでもあり、共に建て上げられていくことでもあるのです。次世代とは年齢のことだけではなく、誰でも最初は霊的な子どもですね。その霊的な子どもたちが築き上げられ、組み合わされていくのです。

聖書はそのことを「実に、勇士の手の中にある矢」だと言います。

勇士にとって、その矢はいのちのように大切な物です。勇士は、矢の大切さを知っています。だからその矢を大切に整え、いざという時にその矢を放ちます。矢筒の中を、そのような矢(子どもたち)で満たしている人は幸いであり、恥を見ることがありません。その矢は門で敵と論じるとき、親世代に恥をかかせないとあります。その子どもたちによって勝利が約束されています。勇士の中によって育てられ、訓練された矢が、敵と論じ戦って勝利している姿を見るのです。今まで親世代が開いてきた戦いを、子どもの世代がさらに勝ち取っていくのです。ハレルヤ!その実によって神さまの栄光が現されるのです。

それが主が建て上げられる神の家であり、まさに、イエスさまの手の中にある矢です!その矢には、イエスさまの心が建て上げられているのです。この詩篇の共通のテーマは、「主が建て上げられる家」と、「主の手の中にある矢」です。神さまの霊的な家である共同体も、霊的な子どもたちの成長も、イエスさまの十字架の恵みによって完成されていきます。そこに勝利があるのです。

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