「私に必要な霊的成長 その1」完成を目指して:学び第9回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.10.30)より
聖書箇所:ピリピ人への手紙 4章11節〜13節

「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
ピリピ4章13節

「完成を目指して」の最後のメッセージです。完成を目指すことと、完璧になることは違います。人は完璧になることはできません。私たちは、みんな自分が不完全であることを自覚することが大切です。でも、そこから完成に近づいていく歩みを主とともに喜ぶのがクリスチャンです。あなたが不完全でも、イエスさまの十字架は完璧なので、そこに希望があります。

あなたにとって天のお父さんはどのようなお方ですか?

それを知る旅が霊的成長であり、天のお父さんとの信頼関係が揺るがないものとされていくことが完成を目指す道のりでもあります。そしてその霊的成長は、人それぞれプロセスも、スピードも違います。だから人と比べる必要はありません。

サウル王は自分にとって有益なことは、ダビデにも有益だと考えました。それゆえダビデがゴリヤテと戦う時、自分の鎧をダビデにも着せようとしました。でも、そもそもサウロは他の人より頭ひとつ分背丈が高かったとあります。ダビデにはその鎧は合わなかったのです。もしダビデがサウルの武具を身に着けて戦いに出ていたなら、きっと負けていたでしょう。

幸いにもダビデは自分のことを良く分かっており、その問題を指摘する勇気も持っていました。「これじゃ戦いになりません。この鎧は慣れていないので、歩くことも自由に動くこともできません。」私たちの霊的成長においても、他の人の祈りやデボーション、奉仕やミニストリー、他の人には有益なのに、自分には合っていないのに一生懸命サウロの鎧を着て歩き回ろうとしてしまう場合があります。それでは自由に動けません。霊的成長は、同じ方法を用いれば誰でも同じ結果を生むとは限りません。それぞれの成長に適した歩みと条件があるのです。だから、あなたにとって必要な霊的訓練を選び取っていく必要があります。あなたのために持っておられる神さまの成長計画です。その計画は、あなたに生きる喜びを与えてくれます。

霊的訓練とは、聖霊さまによって生かされている喜びを心の底から感じられるようになるために行う訓練です。

あなたはどんな時に生きている喜びを感じますか?
 ・朝起きて持つデボーション。
 ・ゆっくり時間をかけて味わうデボーション(カフェなどで)。
 ・何人かの親しい仲間と分かち合うデボーション。
 ・楽器を奏でて、賛美している時に満たされるデボーション。

ミニストリーも同じですね。あなたに喜びがあるかが大切です。そこにいのちがあるからです。天のお父さんとの、いのちのある交わりを大切にしてください。ハレルヤ!

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