「古いものと新しいもの」ルカの黙想:学び第8回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.4.2)より
聖書箇所:ルカの福音書 5章27節〜39節

人生は出会いの連続であり、

出会いによって人は変わると言われます。友人、先生、同僚、先輩。イエスさまとの出会いは、私たちの人生を全く新しいものと造り変えてくださいます!

ルカ5章27節~31節は、取税人のレビ(マタイ )がイエスさまからの招きを受けて、何もかも捨ててイエスさまに従っていくいうシーンです。収税所に座っているマタイ に目を留められて、その眼差しと、ひと言のことばでマタイの人生は全く変えられます。イエスさまは、マタイにたったひと言呼びかけます。「わたしについて来なさい。」と。彼にはそのことばだけで十分でした。今まで誰も彼に呼びかけ、「一緒に行こう」と呼びかけてくれる人などいなかったからです。たったその一言でマタイはイエスさまと出会います。そして彼の人生は喜びへと変えられます。

守ることへの執着

しかし、その変化に不満を持つ人たちがいます。喜べない人たちがいます。それがパリサイ人や律法学者たちです。マタイが喜びをもってイエスさまと食事の交わりをしていると、彼らは怒り出します。彼らの伝統、律法、秩序。。。神さまの心の本質からずれてしまった古い革袋に執着してしまい、イエスさまに文句を言っている様子が描き出されています。人が変えられることよりも、伝統を守ることに執着しています。

そんな彼らにイエスさまは言われます。花婿と一緒に婚礼の喜びにある時に、断食する必要があるのですか?「やがて時が来て、花婿が取り去られたら、」花嫁は断食するよと。断食は、食べないこと自体に意味があるのでありません。それならダイエットしている人には神さまの臨在がいつもあることになりますね。断食は、飢え渇きをもってイエスさまを慕い求めることに意味があります。そのシーズンは聖霊さまが私たちに飢え渇きを与え、深い臨在へと導いてくれます。

イエスさまと本質的な出会いによる、喜びと新しい恵みに満ちた人生

もう一つイエスさまは、たとえを話されます。ここで言う「古い衣」「古い革袋」とは、古い教えや、信仰、教理について言っているのではありません。逆に、何か新しい教え、新しい啓示とかが素晴らしい訳でも、良い訳でもありません。古い皮袋とは、神さまとの本質的な交わりのない形式的な律法主義のことです。そこにはイエスさまとの新しいぶどう酒の喜びはありません。イエスさまと本質的に出会ったのなら、あなたの人生は喜びと新しい恵みに満ちた人生へと変えられます。新しい契約とは、聖霊さまによって日々イエスさまとの食事の交わりをすることから始まります。ハレルヤ!

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