「正しい判断をするために」カバーリングの学び 第28回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.7.20)より
聖書箇所:列王記 第二 7章 11~20節

彼らは互いに言った。「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」
列王記 第二 7章9節

ツァラアトに冒された4人の人たちは弱りきった体を引きずって

もう一度、夜の暗やみの中を歩き、サマリヤの人々のいのちを生かすために良い知らせを持って王のところへ行きます。ところが王は、その良い知らせを敵の策略だと判断し、信じようとしません。それは、そもそもエリシャの伝えた神のことばを信じていなかったからです。サマリヤは一刻の猶予もないほど困難な状態にあったのに、王は神さまのみことばに信頼することが出来ませんでした。それゆえ、彼は良い知らせを聞いても絶望の中に留まり、それを人のせいにして、また神の責任にして正しい判断をすることが出来ません。

しかし、そこに賢いひとりの家来が王に進言します。

どうせこのままでは、私たちサマリヤは滅んでしまうのだから、残っている5頭の馬を使って様子を見に行って確かめればと勧めます。この賢い家来の提案により、王の心が変わります。自分のことしか考えていなかった王が、やっと自分の立場を理解し、民のために動き始めます。偵察隊が出てアラム軍の陣営を確かめると、ツァラアトの者たちが言った通り、そこには敵人たちが置いていった食物や武具、衣服で満ち溢れていました。絶体絶命に思えていた状況が、たった一日で神さまのことば通り、人々のいのちが回復していくことになります。

神のことばに信頼する正しい判断が

人々を生かします。私たちも、自分の固定観念に囚われて、本当に大切なみことばの約束を見失っていないかチェックする必要があります。そして、自分の傷や痛みを抱えたままでは正しい判断ができないことも覚えましょう。正しい判断をするためには、神のみことばを信じ、そこにいつもより頼まなければなりません。みことばの基準で物事を判断できるように、聖霊さまの助けをいつも求めましょう。神さまの力とみことばを軽んじることがないように、私たちの口のことばに気おつけましょう。人間には不可能でも、神さまにはすべてが可能ですと告白出来る人は幸いです。

みことばを、自分こととして悟り従う

そして最後に覚えたいことは、4人のツァラアトに冒された人たちは、生き延びるために歩き出しました。神さまは、そのことをアラム軍が退却させることに用いられました。また、弱りきった体を引きずって良い知らせを伝えた彼らの行動を通して、飢えて死んでいく人々を生かし、いのちを与えました。今日のみことばを、人ごとではなく、自分こととして悟り、従うことが出来ますように。そこから、神さまの祝福は始まっていきます。ハレルヤ!