「ひたすら待ち望みなさい」ペテロの手紙第一 講解 第6回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.9.7)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 13-16節

13ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
14従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
15むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
16「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。

目を覚まし、気を緩めずに、集中しなさい

13節には「心を引き締め」とあります。直訳すると、「心の腰の帯を締める」という意味です。ルカ12:35に、「 腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。」とイエス様がどのように待つのかを教えています。目を覚まし、気を緩めずに、集中していなさいということです。エペソ6:14では「腰には真理の帯を締め」とあるように、神のことば、御思い集中することをパウロも勧めています。

また「身を慎むこと」とはお酒を飲まず、醒めている状態を表します。ただお酒を飲まないようにという事ではなく、物事にのめり込みすぎないように、醒めているということです。それは「待ち望むため」に、そのようであるようにとペテロは勧めています。「イエスキリストが現れる時に与えられる恵み、救いの完成を待ち望む。」私たちキリスト者とは、キリストを待ち望む者であることを実感します。

私達は「すでに」と「いまだ」の間に生かされています。

神によってすでに義と認められ、永遠のいのちを与えられ、神の子とされている。しかし、いまだこの世界は罪の中にあり、サタンの影響下にあります。私達もいまだ罪の影響下にあり、悩み葛藤します。その意味でも救いは完成していないのです。

「すでに」と「いまだ」のはざまにあるからこそ待ち望む。イエス様が再び来られる事を、救いの完成を待ち望む。何度も繰り返し、御言葉は私たちに教えてくれます。神様は、もっと多くの祝福を与えようと用意してくださっているということを。
ですから、「ひたすら」待ち望む。それが私たちの希望であるからです。