「聖なる者とされる」ペテロの手紙第一 講解 第9回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.9.28)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 1章 13-16節

13ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
14従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
15むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
16「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。

「あの人は素晴らしい、私もあの人のようになれたら」

16節では「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」という神の命令が引用されています(レビ19:2)。15節にある「あなたがたを召された聖なる方」とは神ご自身です。ですからペテロは、「神が聖なる方であるように、あなた方もそれに倣い、聖なる者とされなさい」と勧めています。

聖化の基準、目標は神ご自身です。人ではありません。「あの人は素晴らしい、私もあの人のようになれたら」と思うことがあるがしれませんが、それが目標ではないのです。人として「素晴らしい人」になっていくのではなく、「神に似たもの」へと変えられていくことが聖なる者とされるということです。そもそも人間は神のかたちとして神の似姿に造られました。(創1:26〜27)ですから聖化とは、本来の姿を回復していくということなのです。私たちは、肉体や遺伝的には父や母に似ていますが、霊においては神に似たものとしての本来造られた姿に回復していくのです。

神に似たものとして変えられていく

イエスキリストを受け入れて救われたあとも、私たちは罪を犯す誘惑にさらされていることを実感します。しかし、神が私たちの良心に働きかけてくださることにより、罪を犯すことを思いとどまらせる聖霊の働きがあるのです。その御声に聞き従う時、私たちの聖化は実現し、神に似たものとして変えられていくのです。救いの恵みをいただいているクリスチャンの心には、そのような主からの語りかけがあります。それは時には自分の思い、願いを諦めて、神様が示してくださることを選ぶことかもしれませんし、痛みが伴う事もあるかもしれません。しかし、聖なるものとしてくださる方に信頼し従っていけるよう、神ご自身が励ましとりなしてくださるのです。