岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.11.30)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 1-3節
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
3 あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
救いの恵みを豊かに体験していくこと
先週は、愛における成長のためには、霊の乳であるみことばを私たちが主体的に慕い求めることの大切さを見ました。2節の終わりに、「それによって成長し、救いを得るためです」とあります。これだけを読むと、「成長しないと救われない」と理解するかもしれません。 「成長して、それでようやく救われる」と考えるかもしれませんが、そうではありません。ここで言われている「救い」は、「救いの恵みを豊かに体験していくこと」です。私たちはキリストを信じて、罪を赦され、 復活のいのちをいただいた者として洗礼を受けました。それは、救いの経験の第一歩なのです。
私たちはまだ救いの恵み、祝福をすべて体験しているわけではありません。
ですから、霊の乳をいただき続け、みことばに教えられ続けることで、自己中心という肉に生きていた私たちが、キリストの愛により他の人に仕える者へと変えられていきます。人と関わることへの恐れやねたみから解放されて、喜びと平安を得るようになる、それがここでいう「救い」なのです。特に、1章22節で言われていた、「きよい心で互いに熱く愛し合う」ことのできる者となることが、成長の結果としての現れです。
続く3節では、「あなたがたは、主がいつくしみ深い方であること 確かに味わいました。」 とあります。
この部分は原文では、「もし、〜なら」という表現がされている箇所です。直訳すると、「あなたがたが、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わっているなら」となります。2017訳では「味わいました」という表現になっていますが、これは、「すでに味わっている」ことが前提となっているからでしょう。「味わっているかどうか分からない けれども、もし味わっているなら」という曖昧な意味ではなく、「主がいつくしみ深い方であることを味わっている」ことを、主ご自身が確信させてくださるのです。
今週も、キリストの愛により いつくしみ深い主を味わい、成長させていただきましょう。


