岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.12.14)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 4-7節
5あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
6聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
(ペテロの手紙 第一 2章4節〜6節)
「主の民」「神の民」
先週までは、信仰を共にする兄弟姉妹として互いに支え合い、愛し合うこと、そのような愛において成長することの大切さを見てきました。そこに、神が私たちに与 えてくださる祝福があるからです。その「兄弟愛」ということから、私たちは「主の民」「神の民」だという話に移っていくのが、今週の箇所です。ここにはまだ「主の民」「神の民」という言葉自体は出てきませんが、まずは4節と6節に目を留めたいと思います。
4節ではイエス様のことを「生ける石」、6節では「要石」と呼んでいます。要石とは、建物全体の要となる石です。アーチの頂上部分にある建築要素であり、要石は頂上であることを示すと同時に、周囲の建材が崩れないように締めて支える役目を持ちます。このため、構造上とても重要なものです。この石によって他の石が生かされ、建物として建つことができるのです。
「家を建てる者たちが捨てた石。それが要の石となった」
福音書に「悪い農夫のたとえ」と呼ばれるたとえ話が出てきます。 ぶどう園の主人が収穫を得ようと、しもべたちを遣わしたが、農夫たちが渡してくれない。それで最後に自分の息子を遣わしたところ、殺されてしまうというショッキングな話です。その話の結びで、イエス様はこうおっしゃいました。
(マタイの福音書 21:42)
そのたとえ話のとおり、イエス様は人々から見捨てられ、十字架で殺されました。まさに、「家を建てる者たちが捨てた石。それが要の石となった」のです。それは主がなさったことで、人の目には不思議に見える事でした。この言葉を受けて、ペテロは言います。主は、「人には捨てられたが、神に選ばれた、尊い生ける石」であったと。
「生ける石」であるイエス様を頂点に据えられた要石として、私たちは互いに支え合い、組み合わされ建てあげられています。そのようにして、霊の家に築き上げられていくのです。


