「アブラムの失敗と神の恩寵 その①」 信仰の父アブラハム 学び第3回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.01.27)より。
「創世記」信仰の父アブラハム学び 第3回
聖書箇所:創世記 創世記 12章13節

「どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」

アブラムの犯した3つの失敗。
①神さまの声を聞かずに。
約束の地に入ったアブラムは、神さまの祝福の手ごたえを感じ、そこに祭壇を築き礼拝をささげます!
さぁ、これからという時に、激しいききんがアブラムをおそいます。
神さまのみこころという保証があっても、いつもすべてが順風満帆に事が進むとは限りません。
むしろ難しい問題に直面しながら、私たちの神さまへの信頼、従順が試されることがよくあります。
これまで神さまの声を聞いて歩んできたアブラムが、この危機を前に、神さまの声を聞かずに自分の考えで問題の解決に乗り出しました。
祈って決断することと、祈らずに決断することでは、時にはその選択の道は同じかもしれませんが、そのあとの歩みの確かさが違います。

②欺くことで自分を守ろうとした。
アブラムの周りには、様々な緊張と攻撃があったでしょう。
エジプトという大帝国に下り、富や権力がその国を支配していました。
そのような問題の中で、アブラムの判断が求められていました。

そこで彼が選んだ判断が、自分の妻サライを妹と言わせることでした。
ここには微妙な駆け引きがあります。
実際にサライは、テラという父の下で、異母兄弟であって、アブラムの妹にもあたるわけです。
だから、アブラムは嘘をついたわけではないと主張できるかもしれません。

しかし問題の本質は、相手に完全に「」と思わせることでした。
真理の半分を語り、重要な真理の半分を隠すということで相手を欺くこと、これは詐欺の手法ですね。
アブラムは、欺くことで自分のいのちを守ろうとしました。
自己保身のために、苦肉の策をとった一人の罪人の姿です。
そしてそれは、私たちの姿でもありますね。

③神さまではなく、人を恐れた。
その結果、アブラムは、愛する妻を失うことになるのです!
これは悲劇的なことです。
愛する妻を失うと同時に、神さまの約束の祝福を手放すことになるからです。
アブラムの判断は、神さまの計画を阻止する障害となりました。
神さまを恐れるのではなく、人を恐れたからです。

しかしこの後、アブラムは神さまの一方的な恩寵を経験します。
ハレルヤ!続きは次回に。。。

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