「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」その② 信仰の父アブラハム 学び第16回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.04.28)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第16回
 聖書箇所:創世記 16章1節~9節

「彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。」4節

②ハガルの葛藤。4~9節
皮肉にもハガルは簡単にみごもります。しかもハガルはみごもると、自分の女主人であるサライを見下げるようになりました。
女奴隷という身分からアブラムの妻となったという役割を、自分が果たしたという自信が湧いてきたのでしょう。
それが誇りとなって、ちょっと偉くなった気分になったのでしょう。
ある場合、自分が用いられているということが、その人の誇りとなります。自慢となります。
そして一方、用いられていないと感じる人の心には嫉妬の炎が点火されます。

ハガルは、女主人であるサライの計画で、私の代わりに子どもを身ごもって欲しいと頼まれたので、そのようにしました。
主人の命令でなければそうはしなかったでしょう。
でも命じられたので、それに従ったのです。
確かに、人間的な弱さのゆえに、誇ったり、自信に満ちた行動をとったかもしれません。
でも実際、自分の胎の中ににいるのは自分の子どもであり、母親になったのです。
利用されるだけ利用されて「必要なのは子どもだけ」ということであれば、ハガルの存在自体が否定されてしまいます。
だから逃げ出したのでしょう。

そんなハガルに、主の御使が彼女を見つけて語りかけるのです。
「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。
その言葉は、彼女の存在そのもののあるべき位置を確認する問いかけでした。
御使いは問いかけながらも「サライの女奴隷ハガル」と名指しで呼んでいます。
つまり御使いは、すでに彼女のことを全部知っているのです。
そのうえで問いかけます。
「あなたはどこから来たのか?」…あなたにいのちを与え、あなたを導き、エジプトの地からあなたを連れ出して、アブラムという特別な祝福の器の所に引き寄せたのは、このわたしだよ。と問いかけて下さっているのです。

「あなたはどこへ行くのか?」…これから先、自分でどこへ行こうとするのか。
これからもわたしの計画の中に置かれているではないか。と言われるのです。

私たちは、自分の決断や判断のゆえに苦しむことがあります。
しかしそうした状況の中で、みこころを求めて神さまの計画の中に生きようとする一人一人を、神さまは覚えていてくれます。
ハガルは勇気を出して来た場所に戻ります。
主人のもとに。そこが彼女にとって祝福の場所だからです。
あなたはどこから来て、どこへ行くのか」神さまの恩寵の中で生きて、それを喜ぶ者でありましょう!

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