シンプルライフ

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2019年8月号より

「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、…」
ピリピ人への手紙 3章7~8節

新約聖書に多くの手紙を残したパウロは、当時の世界を飛び回り、イエスさまの福音を伝えていました。現代のような交通機関はなく、福音を語るたびに迫害を受け、ときには牢獄で軟禁生活を余儀なくされることもありました。しかしパウロは、福音を宣べ伝え続けたのです。このピリピ人への手紙も、捕らえられた状況で書かれました。パウロは言います。「私はキリストのためにすべてのものを捨てて」と。シンプルに生きるとは、本当に大切なもののために、大切でないものを減らすことです。自分に本当に必要なものを知っている生き方ですね。

捨てるとは「失う」ことではなく「得る」ことなので。捨てるというと単に失うだけ、ただ損をするイメージがありますが、捨てることで得られるものがどれ程無限大なのかをパウロを通して知ることができます。パウロは、人間的な血統や経歴、自分の義を捨てたと言います。私にとって得であったものが、今はイエスさまの素晴らしさを知ってしまったゆえに損と思うようになりました。パウロはイエスさまを得たのです。今までの価値観が全く変わってしまったのです。ハレルヤ!

またパウロは「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ人への手紙 3章13節)と言います。「この一事に」。私たちの脳のメモリも、時間も、集中力も有限ですね。私たちが集中して力を発揮するためには、余計なことに力、エネルギーを消耗しないことです。焦点が定まっている人の生き方は、自分のなすべきことと、そうでないことがハッキリしています。「今」の自分に何が必要か!キリストを得る生き方へと進んでいきましょう。

牧師 佐藤耕二

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする