「地上では旅人であり寄留者」 信仰の父アブラハム 学び第33回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.09.01)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第33回
 聖書箇所:創世記 23章19節~20節

「こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。」

アブラハムは神さまの約束は握っていましたが、まだ実際にはその約束の土地は自分のものとなってはいません。
手にしたのはマクペラの墓地だけです。
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」
(聖書箇所:ヘブル人への手紙 11章13節)

これが信仰者の生き方です。
約束を握ってゴールを見据えて歩む信仰者の姿です。
これらの人々、すなわち信仰者の人々はその約束、目的を果たすまで進み続けます。
彼らは約束のものを手に入れることはありませんでしたが、途中で腰をすえることはしません。
通過点にとどまり、そこに家を建て、そこに執着することもありません。
もしそうするなら、目標を見失うことになります。
どんな困難や、いやどんなに祝福が満ちたとしても、そこはただの通過点に過ぎないのです。
それが「地上では旅人であり寄留者である」信仰者の姿です。

あなたが握っている約束はなんですか。
私たちの見ているゴールはどこでしょうか。
この地で何かを成し遂げることが、また自分の生きている時間だけで完成するものなら、必ず失速します。
信仰者のゴールはもっと先です。
「はるかにそれを見て」喜ぶのです。
私たちの目標はイエスさまです。
イエスさまが来られるのを待ち望んでいる。それがゴールです。

「彼は、堅い基礎(みことば、神さまの約束)の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」
(聖書箇所:ヘブル人への手紙 11章10節)

土地が与えられるという約束を与えられながらも、アブラハムはその生涯において、その土地を与えられることはありませんでした。
にもかかわらず、彼がイサクやヤコブとともに天幕生活に甘んじ、忍耐することができのは、彼らが堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。
そしてその都を設計し、建設されるのは神さまだと信じていたからです。
その都こそ、神さまの救いの究極的なヴィジョンである「新しい天と新しい地」です。

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