岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.10.13)より
雅歌の学び 第5回
聖書箇所:雅歌 2章2節~6節
「あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」2章4節
2章に入り、少しずつシュラムの女のアイデンティティーが変わってきます。
1節。彼女は「私は、荒野に咲くサフラン。谷間に咲くゆりである」と告白します。
みことばにより愛されていることを確認すると、自己認識が変わってきます。
またイエスさまに対する愛を告白することにより、愛は関係ですから、その表現や感情が豊かになります。
それに応答するように花婿が語りかけます。
2節。「わが愛する者」。ここで「いばらの中にあるゆりの花」と「娘たちの中にいるわが愛する者」は同じ意味です。
それは花婿にとって花嫁は、唯一の存在であるということです。
「わが愛する者」が、たとえ多くの娘たちの中に存在していたとしても、花婿にとってはその存在は格別です。
「わが愛する者」がひときわ目立つ存在として目に映っているのです。
3節では反対に、花嫁が花婿の存在を林の木々の中にある「りんごの木」として見ています。
花嫁にとっても花婿は唯一の存在です。
「私はその陰に座りたい。」その木は太陽の熱をさえぎる影を作っているのです。
花嫁はその木を慕ってその木の「陰にすわる」ことを切に望みます。
また「その木の実は私の口に甘い」と表現することで、みことばが自分を「力づけ」てくれることの象徴的表現でもあるように思えます。
4節。私の上に翻る「旗じるし」とは、花嫁がどこの部隊に属しているのかを示すものです。
旗印は、誰が軍を率いているのか一目で分かるようにした目印で、何本も立てられました。
強い武将なら「俺がここにいるぞ!」と相手を威圧するメリットもありました。
花嫁は「私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」と告白します。
花嫁の旗じるしは「花婿の愛」です。
教会の上に翻る旗じるしも「愛」ですね。
私たちは、イエスさまの愛に属する者だからです。
イエスさまが教会を率いて行かれます。ハレルヤ!