「実を結ぶ地」創世記マスタープラン 学び第8回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.04.18)より
聖書箇所:創世記 1章11節~13節

神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。

神さまは、直接植物に命じて種を生じる草木を生えさせたのではなく、地に呼びかけて芽生えさせるように命じました。神さまは乾いたところを「地」と名づけ、その「地」に対して創造のことばを仰せられます。では、乾いた所に実を結ぶ果樹を芽生えさせるとは、どのような意味があるのでしょうか?

「乾いた所」とは、神さまのみわざが成された地のことです(出エジ14:22,ヨシュア1:9)。

イエスさまが語られた「種蒔きのたとえ」で、種が「良い地」に蒔かれるならば、多くの実を結ぶとあります。神さまのみわざが成される地です。神さまは、エジプトから救い出したイスラエルの民に乾いた所を通らせます。三日三晩カオスの中にいたヨナが乾いた地に吐き出されます。それはすべて救いの型でもあります。その「乾いた地」を通っていく者たちが多くの実を結ぶようになることを神さまは期待しているのです。詩篇やイザヤ書の中でも、豊かな実を結ぶとは、神さまの祝福を現しています。それは荒れた地、荒らされた地が回復し、ぶどうやオリーブの実が豊かに実ると言うイスラエルの回復や預言の成就を意味するものでもあります。それらが豊かに実るということは、神さまの創造のマスタープランの成就でもあるのです。神さまが取り分けた地に、豊かな実がみのるのです。

神さまは、ここではあえて「種がある」ということを強調されます。

実を結ぶのに欠かせないのが種です。ヘブル語で「種」(ゼラ)は男性形単数です。それに対して、「地」「草」「木」は女性形です。当たり前のことですが、実を結ぶためには「種」が不可欠なのです。「種蒔きのたとえ」」でイエスさまが天の御国の奥義を話されたとき、「種」とはなんのことでしたか?種は「みことば」のことでしたね。その「神のことば」は、ヨハネの福音書1:1では「イエスさまご自身」のことであり、イエスさまが私たちの内に住まわれることにより、豊かな実を結ぶのです。「種」とは「神のことば」そのものであり、イエスさま自身が隠されているのです。
そしてその種には生命が宿っています。みことばは私たちを生かし、イエスさまにいのちがあります。「わたしはいのちです」と言われるイエスさまにより、私たちは新しく生きる者とされます。ハレルヤ!

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