岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.05.23)より
聖書箇所:創世記 2章1節~3節
安息日の制定における重要な三つのキーワード、それは神さまがその日を①「祝福した」②「聖とした」③「やめられた(安息された)」という三つです。
Q.なぜ神さまは七日目に休まれたのか、安息されたのでしょうか?
①創造のみわざが完璧だったから?もちろんそれもあるでしょう。
しかし神さまが休まれた目的の核心を一言で言うならば、神さまが人間との親しい交わりに入る日として安息されるためです。それは、他の一切のことに心奪われることなく、ご自分に似せて造られた「人との交わり」に愛を注ぐためです。その安息は、人間にとって一番祝福に満たされた特別な時であり、真の安息を味わう時であるのです。
②神さまが疲れて休みが必要だったから?
いえ、神さまが目的をもって創造のわざをひとたび中止・中断されたということです。それは神さまの永遠の安息に向けて、一時的に中断されたのであって、再び神さまの創造のわざ(新天新地)は始まります。「夕があり、朝があった。」というフレーズは、始まりがあって終わりがあることを示唆していますが、第七日目にはそれがないのです。それは、まだ終わりが閉じられていないことを意味しているのです。もう一度神さまの創造のわざが始まるのです。それが新しい天と新しい地です。
③そして3つ目に「シャバット」についてとても大切なことは、「神の安息」に入るチャンスがまだ残されているということを知ることです。
「こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」ヘブル人への手紙 4章1節。
「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。」ヘブル人への手紙 4章9節。
●神さまの永遠の計画の中で、【きょう】神さまとの安息が与えられていることを知る!
●イエスさまの十字架により永遠の安息に入るチャンスが【きょう】まだ与えられていることを知ることです!