神さまの喜び (ワーシップ)

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2021年6月号より

二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。
「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」ヨハネの黙示録 4:10~11

神さまが天と地とすべてのものを創造されたとき、神さまは「それを良し」と見られました。
しかし、アダムを創造された後は「見よ、それは非常に良かった」と言われます。神さまの喜びの中心は「人」の創造であり、神さまの喜びのために「人」は造られました。人はスペシャルな存在であり、神さまの喜びです。それは人が何か良い務めを成したからではなく、アダムの存在自体がスペシャルであり、その存在を喜ばれ満足されたのです。神さまは人を、何かの必要に迫られて創造されたのではありません。神さまはあなたとの関係、存在を喜びとされたので、あなたを創造するという選択をされたのです。

神さまが私たちに与えてくださった賜物の一つに、喜びを味わうという感情があります。それは、私たちが神のかたちとして創造されたからです。神さまは感情豊かな方です。あわれみ深く、涙を流される方です。愛に満ち溢れ、喜び、楽しまれる方。ときに怒られ、嫉妬する方でもあります。なぜなら、神さまにとって私たちは喜びの存在だからです。

ですから私たちが神さまの前で、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝をささげることが、私たちの創造の目的です。それをワーシップと言います。礼拝は日曜日だけささげるものではありません。神さまの喜びの中でささげるあなたのすべての感謝、祈りが礼拝です。美味しいものを食べて喜ぶことも、ふかふかのベッドで眠りにつく時の喜びも、神さまに感謝することすべてがワーシップなのです。礼拝は、私たちの人生のほんの一部ではなく、私たちの人生そのものです。神さまの栄光(喜び)の中で新しく生まれた私たちは、神さまの栄光(喜び)を現すためにすべてのことをしましょう。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」コリント人への手紙 第一 10:31
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする