「ベテスダでのいやし②」七つのしるし 学び第4回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.11.28)より
聖書箇所:ヨハネの福音書 5章1節~9節

良くなりたいか!6〜7節。

38年間も病気にかかって苦しんでいる人に、しかも初対面の方に向かって「良くなりたいか」と尋ねるイエスさま。。。毎回言うように、イエスさまの言われることには不思議な言い回しが多いです。冷たく感じることがありますが、そこにイエスさまの伝えたい本質があることも確かです。ここでもイエスさまは長い間その状態にある人に、真意を問いかけます。

1.まずあなたが、よくない状態にあるという自覚があるかないかが問われています。
あなたの今の状況、状態はどうであるのか。それをきちんと自覚して認めているのか。
2.そしてあなたが、文字通り、良くなりたいという願望があるかないかが問われています。
ずっと水面を見つめているけど、本当に良くなりたいと願っているのか。
3, 最後にあなたが、本気で良くなりたいという意志があるかないかが問われています。
イエスさまは、その意思を目覚めさせようとしているのです。

本当なら、「はい!良くなりたいです」と答えるところですが、彼はそうではなく、自分が治らない理由を説明し出します。いつの間にか治りたいという思いよりも、自分を治らなくしている理由の方が大きくなってしまっているのです。彼の人生は38年間、自分の病の理由、その思いに縛られていた。その長い年月が、彼の望みや願望を喪失させ、希望を持つこと、自分の意思を持つことさえ失っていた。イエスさまは、そこにチャレンジを与えられます。

「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」8節。

再び信仰を与えようとされます。新しい扉を開こうとされます。イエスさまは、いつか、誰かが、ベテスダの水に入れてくれるときに私は癒されるのかも?という彼が握っていた誤った信仰に、諦めていた信仰に光を与えたいのです。

「すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。」9節。

彼はイエスさまのチャレンジに応答します。自分の意思をもって、イエスさまのことばを信じて立ち上がりました。信仰とは、過去の経験や失敗がどのようなものであれ、現在の状況や困難がどのようなものであれ、将来の不安や心配がどのようなものであれ、それらを振り捨てて、神さまのことばに信頼して立ち上がることです。その信仰さえも与えてくださるのが神さまです。

あなたは、今日イエスさまにこのように尋ねられたら、何と答えますか?

「良くなりたいです」という願いをもって、イエスさまのことばに応答して、歩んでいきましょう。そうすれば今日、イエスさまは新しい人生をあなたの前に開いてくださいます。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする