詩篇84篇の黙想「シオンへの大路」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.4.3)より
聖書箇所:詩篇84篇 1節~7節

「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中に シオンへの大路のある人は。」
詩篇84篇5節

①主の宮を恋い慕う人。1~4節

みなさんも恋をしたことがあるでしょう。いつもその人のことを想い、心が支配される。ずっと一緒にいたい。だけどドキドキする。同じように、この詩人は“主の宮”に恋をしています。主の大庭を恋い慕って、主の臨在を求める恋の病にかかっているのです。主の宮に巣を作った雀とつばめをもうらやむほどです。

今の時代、立派なハウスがあっても、そこがホームでないことがあります。立派な建物があっても自分の居場所がない。その状態は、ハウスがあってもホームレスの状態です。ホームとは自分の居場所があるところであり、自分を受け入れられるところです。それは職場のように、いつも仕事をしていないと受け入れてもらえない場所ではなく、学校のように校則を守るから通える場所でもありません。その人が存在するだけでいい場所、それがホームであり、主の宮でもあります。そのホームの中心は神さまの臨在であり、私たちはその場所で安息します。

この詩篇の作者は、「コラの子たち」とあります。作者は神が臨在される場所、そこに招かれ、そこに住む人々はなんと幸いなことかと言っています。なぜなら、彼らは一度それを失い、自分の居場所を離れる経験をしたからです。詩篇42篇1~5。レビ族の中で居場所がなかった彼らの祈りです。礼拝をささげたい。。。私たちは、どれだけこの礼拝をささげることを愛しているでしょうか。どれだけ神さまの臨在に飢え渇いているでしょうか。礼拝できることは当たり前ではありません。主の恵みですね。「失ってはじめて知る価値」というものが私たちにはあります。愛の渇きはどうしても満たされなればならないものです。一杯の水のありがた味は、渇きを経験した者でないとわかりません。

②シオンへの大路のある人。5~7節

心がシオンに、心がいつも神さまを礼拝することに向かっている人は幸いです。焦点の定まっている生き方は「なんと幸いなことでしょう!」。その人には、いつも神さまの力強さが溢れていると告白します。シオンへの大路に向かっている人は、絶望的な状況の中でも、その心にいのちの泉が湧き出ます。涙して前に進めないようなときにも、あなたのいる所を「泉の湧く所」としてくださると言うのです。それがコラの子たちの証しです。ハレルヤ!

神さまを慕い求める者たちに、神の愛は変わらず注がれ、その人を励まし、力を与え、喜びで満たしてくださいます。私たちは、自分の大路を歩むのではなく、神さまへの大路を歩む生き方を喜びましょう。それがシオンに向かう道、十字架の道です。その心を持っている者が礼拝者ですね。ハレルヤ!

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