【七つの武具:2】「臆病の霊vs正義の胸当て①」 神の七つの武具:学び第4回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.6.12)より
聖書箇所:エペソ人への手紙 6章10節〜18節

「そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、」
エペソ人への手紙 6章14節

私たちの信仰生活をひとことで言うなら、それは霊的な戦いです。その戦いに勝利するためには、まずすべての神の武具を身に着けることから始まります。良く霊的に落ち込む人は、自分がどの武具を身につけていないのかチェックする必要があります。真理の帯なのか?救いのかぶとなのか?福音の靴なのか?武具一つ一つには意味があり、あなたの弱さを守る場所があります。そして、悪魔の策略に対する対処方法を理解しておくことはとても重要です。さて、今回も二つ目のサタンの策略を見てから、それに対抗する神の武具を確認しましょう。

サタンの策略その②「恐れの霊」= 臆病の霊

「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」
テモテへの手紙第二 1章7節

臆病の霊vs力と愛と慎みの霊です。「臆病の霊」とは、私たちクリスチャンや教会を迫害し、批判し、攻撃してくる霊です。神さまに対する信頼を壊して、恐れを抱かせて私たちの心を縛ってきます。例えばエリヤに対する臆病の霊。カルメル山で勇敢に戦い、750人の預言者たちとの死闘に圧倒的な勝利を治めたエリヤに対して、サタンは一人の女イゼベルの呪いの言葉により、エリヤに恐れを与えました。

すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
列王記 第一 19章2節~4節

また、ペテロやバルナバでさえ、割礼派の人々の視線を恐れて異邦人と距離をとってしまいます。

「ところが、ケファ(ペテロ)がアンティオキアに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。」
ガラテヤ人への手紙 2章11節~13節

私たちは、恐れに囚われると前に進めなくなります。勇気が出なくなります。批判を恐れて逃げてしまいます。なんで恐れるのでしょうか?自分で負えないものを自分で負おうとしてしまうからです。すると私たちに対する神さまの憐れみがわからなくなって、間違った行動に出てしまいます。

では、そのサタン策略に勝利するためにはどうすれば良いのでしょか?続く…。

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