【七つの武具:4】「この世の霊vs信仰の大盾①」神の七つの武具:学び第8回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.7.10)より
聖書箇所:エペソ人への手紙 6章10節〜18節

さぁ、神の7つの武具も4つ目に入ります。その武具はすでに神さまが備えてくださっています。私たちは「ありがとう」と言ってそれを受け取ればよいのです。私たちが武器庫に行くときに全部の装備が備えられており、私たちはそれを装着するだけで良いのです。その武器庫(聖書)から、今日も聖霊さまの助けにより神の武具を装着しましょう。

サタンの策略その④「この世の霊」

「しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。」
コリント人への手紙 第一 2章12節

この世の霊 とは、 この世のスピリットのことです。サタンの思惑に引き寄せる霊であり、この世の貪欲や快楽、基準で心を支配しようとする霊です。

「茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」
マタイの福音書 13章22節

「この世の心づかい」「この世の思い煩い」とは、この世の基準に対して気遣ってしまう、またはこの世の基準に合わせようと思い煩っている様子です。人と比べて自分ももっと欲しい。妬みのスピリットが湧いてきて、人は持っているけど自分は持っていないように思わせてくる。この世のスピリットは、勝ち組、負け組というように相対的な価値観で私たちの心を縛ってきます。

そしてそれらのスピリットにより欲が心を支配し、高慢や自己卑下へと繋がっていきます。

これらの劣等感とか優越感には一つの共通点があります。それが【エゴ=プライド】です。高慢とは、自分を高くみなすことであり、また自分を低くみなすことです。人と比較して自分は優れている、いや劣っているとみなすこと、その両方が高慢なのです。

「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」
ヨハネの手紙 第一 2章16節

この世の霊は、私たちの主観的な信仰に立たせようとします。出発点が神さまではなく、いつも私なのです。「私はこう思う、、、だってこうだから、、、みんなそう言ってる」。それらの思いはすべて、結局のところ自己中心から出ているのです。そしてそれらが、すべての境界線を犯していきます。ローマ人への手紙16章17節~18節では「自分の欲望に仕えている」と言います。

さぁ、そのようなサタンの策略にどのように立ち向かうのでしょうか(続く)。

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