岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.10.23)より
聖書箇所:ピリピ人への手紙 4章6節〜7節
「何も思い煩わないで」とは、
神の子どもとしてのアイデンティティーから生まれるものです。それは、すべてを天のお父さんに打ち明けることができる関係にあるからです。私たちは、すべての恥も、誇りも、悔い改めも、都合のいい願いさえも祈ることが許されています。
神さまは「何も思い煩わないで、耕二、もうわたしはすべてのことを知っているから。でもお前の口から真実な告白を聞きたいんだ。」と願っています。そしてパウロは何でも祈っていいけど、一つの条件として、あらゆる場合でも神さまに対する感謝をもって祈りなさいというのです。
そうすれば、私たちのすべての理解を超えた神さまの平安が、あなたの心と思いを守ってくれるんです。あなたの正しさを超えた神さまの正しさが、あなたの赦しを超えた神さまの赦しが、あなたの計画を超えた神さまの計画が、あなたの意志を超えた神さまの意志が、あなたの理解を超えた想像できないほどの神さまの寛容が、あなたの心と思いを守ってくれます。
「キリスト・イエスにあって」とは、
あなたのたましいの領域を、イエスさまが勝ち取って、守ってくださるというのです。イエスさまの十字架から流れる恵みとまことが、あなたの心をあらゆる攻撃からプロテクト(防御)してくださるのです。だから私たちすべき領域は、感謝をもって祈りと願いを知っていただくこと、告白することです。そして神さまがなされる領域は、私たちのたましいの領域を、神さまの平安(救い・安息)で守ってくださるのです。感謝ですね!
私たちはいつも、自分の義で、自分の努力で心と思いを勝ち取ろうとします。「自己完結」しようとします。自分で治めようとします。でもそれでは、神さまの知恵が入る余地がありません。神さまの恵みが、神の義が入る余地がないのです。私たちは、自己完結を手離さなくてはなりません。私たちの義以上の義をもって、私たちを買い取ってくださった主に、感謝の賛美をささげて祈りましょう。