「快楽を求める空しさ」伝道者の書:学び第4回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.12.04)より
聖書箇所:伝道者の書 2章1節〜11節

「快楽を味わおう!」

前回、知恵を用いて人生の意味を見出そうとしたコヘレトですが、それが空しいと悟ると、今度はその関心を人生の快楽で見出そうと思いを向けていきます。彼は自分の心に向かって言います。「快楽を味わおう!」「からだはぶどう酒で元気づけよう!」と「心の中で」自分に言い聞かせていきます。快楽を追い求めること、すなわち肉の欲求をひたすら追い求めることで、コヘレトは自分の心が満足できるのかどうかを試したのです。

彼が自分の欲求を満たすために試したことが2つあります。一つは単純に肉体的な快楽です。毎日、毎晩、快楽を求めます。歌歌いたち、側女たち、酒やごちそう、宴会。。。私たち凡人では想像できない快楽です。二つ目は精神的な達成感を味わうことでした。事業を拡張し、邸宅やぶどう園、庭、園、池を造り、奴隷や家畜、金銀すべてを手に入れます。王としての威厳や功績を誇るため、自分が成し遂げた事業を次々と列挙します。

しかし、肉体的、精神的快楽をすべて得たとしても満足できない空しさが彼を襲います。

何でもできて、あらゆることを手にしたとしても埋められない心の隙間が人にはあるのです。それは、【人は、神さまに似た者として特別に造られた霊的な存在】だからです。肉の欲求、精神的な欲求を満たしても、それでは満たすことのできない霊的な器があるのです。それは、何かを所有することではなく、快楽で満たすのものでもなく、霊が満足することを求めている部分です。

パウロが言います。

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」
ピリピ人への手紙 4章11節~12節

勘違いしやすいですが、欲求を節制することが、あなたに不満足を与えるのではありません。

満足できない心が、あなたに不満足を与えるのです。欲求を治めることができない人は、何を得ても満足できません。その欲求を治めるためには、外側から満たすのではなくて、内側から溢れる充足が必要です。聖霊さまによって与えられるイエスさまの十字架の恵みに満足する時、私たちは欲望と快楽の奴隷から解放されます。そこには、今まで何をしても埋めれなかった心の隙間に、聖霊の喜びが満ちてくることを経験します。ハレルヤ!

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