「正しすぎるな」伝道者の書:学び第10回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.1.29)より
聖書箇所:伝道者の書 7章15節〜18節

なぜ正しい人が苦しみ、悪者が長生きするのか

「私はこの空しい人生において、すべてのことを見てきた。正しい人が正しいのに滅び、悪しき者が悪を行う中で長生きすることがある。」(15節)

どうでしょうか?私たちはこの世の矛盾をすべて理解することはできません。なぜ正しい人が苦しみ、災いにあい、悪者が悪を行っているのに長生きするのか。どうして正義がなされないのか。どうして正しい人が馬鹿を見るのだろう。どうして弱い者がしいたげられるのか。私たちは、受け入れ難い現実を見るときに、神さまの正しさを疑いたくなりますし、神さまの義に対して文句をつけたくなることがあります。そして私たちは、自分たちの正しさを、自分たちの義を一生懸命打ち立てようとします。しかしコヘレト(知恵者)は私たちに「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない」(16節)と勧めます。

私たちが正しく歩もうとすることは良いことですね。

神さまもそのことを願っておられます。私たちが知恵深く生活することは良いことですね。神さまはそのことを喜ばれます。でも「正しすぎては」「知恵がありすぎては」いけないのです。なぜなら、そもそも私たちの正しさ(知恵)には限度があり、そこに完全な義はないからです。私たちが「〜すぎる」ときに、そこに神さまに対する恐れが欠けていくのです。私たちが完璧になろうとするとき、それが私たちの罠となり、神さまに反抗するきっかけとなっていくのです。美の極みルシファも、そこから落ちることになりました。

また、たくさん正しいことをすれば、良い行いを積めば神さまは必ず良くしてくださる!という考えも誤りです。どんなに良い働きをし、正しい行いを積んだとしても迫害や病いは襲ってきますし、涙することもあります。「そんなのはひどい!神さまはそのような人に祝福を与えるべきだ。」と訴えかけたくなりますが、でもみなさんにハッキリ伝えないといけないことがあります。“神さまは、人間に祝福を与えるべきだと主張できるほど完全な義人はひとりもいない”ということです。

私たちが覚えることは「主は恵みとまことに満ちておられる方」(ヨハネの福音書 1:14)だということを認めることです。主を恐れる者は、この恵みと神の義(まこと)を持っています!その両方が完全な形として現されたのがイエスさまの十字架です。私たちがイエスさまの十字架の前に出ていくとき、正しすぎず、知恵がありすぎることはなくなります。最高の知恵者、イエスさまの生き方が私たちのうちに刻まれますように。ハレルヤ!

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