「悔い改めバプテスマ(宗教改革)」ルカの黙想:学び第1回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.2.12)より
聖書箇所:ルカの福音書 3章1節〜14節

「ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。」
ルカの福音書 3章3節

バプテスマのヨハネのメッセージテーマは「悔い改め」です。

その「悔い改め」のメッセージに多くの群衆がヨハネのもとへ吸い寄せられていく光景は、とても不思議な感覚を覚えます。なぜなら、ヨハネからバプテスマを受けようとして出てきた群衆は、ヨハネからこっ酷くディスられます。
「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか」とか、
また「良く言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を。。。」とか、
また「斧がすでに木の根元に置かれている」というさばきのメッセージが語られます。

それなのに、群衆のみならず、取税人や兵士たちさえもヨハネのもとにやって来るのです。これはとても不思議な光景じゃないでしょうか。これほどに人々の心を惹きつけたヨハネのメッセージとはいったい何だったのでしょうか?

ユダヤ人に向けた神さまに対する内部改革の叫び。

当時のユダヤ人たちは、ローマ帝国の支配の中で、それぞれのアイデンティティーを持っていました。ある者たちはサドカイ派(祭司階級)のように伝統的な神殿礼拝を重んじながらローマの支配と妥協する道を取りました。反対にパリサイ派(律法学者)たちは、神の律法を厳格に守ることによってローマの支配に隔ての壁を作りました。あるいはエッセネ派のように、異国の支配から逃れるようにして社会から逃避し、砂漠や洞窟の中に隠れて共同生活をすることで(死海写本)、自分たちのアイデンティティーを守ろうとしました。熱心党員たちは、ローマに対してあくまでも武力で対抗する在り方で自らのアイデンティティを示しました(右翼的な)。

ヨハネは、そうしたローマ帝国や外部からの圧力に対して立ち上がる改革ではなく、むしろユダヤ人同胞の内側に向けた神さまに対する内部改革を叫けびました。それが、「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ」です。ヨハネの語るメッセージは非常に厳しいものでしたが、それは逆に「あらゆる人々が、神の救いを見るようになる」という希望に満ちた明確な悔い改めのメッセージだったのです。それゆえ、群衆も、取税人も、ローマの兵士たちさえも、ヨハネの悔い改めに応答しました。

私たちも日々、神さまに対する信仰を確認する必要があります。私たちの神さまへの愛が律法と伝統になっていないか?義務や自己義になっていないか?社会から逃避してないか?争いを好んでいないか?私たちの外的要素だけにとらわれず、私たちの内側から溢れる喜び、変革をもって主に仕えてまいりましょう!

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