岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.8.11)より
聖書箇所:ヨシュア記 23章 1節〜11節
ヨシュア記 23章3節
ヨシュア記は「モーセが死んだ」で始まり、「ヨシュアが死んだ」で終わります。
その信仰はモーセからヨシュアへ、そして次世代へと受け継がれていきます。その次世代にあたるイスラエルの民は、今、安息を与えられて約束の地に安住しています。もうエジプトから脱出した。荒野の旅も乗り越えた。自分の土地も与えられた。よし、もうこのまま安住しよう!って、思いたくなりますよね。しかし、まだ勝ち取るべき残された領域がありました。ですから、ヨシュアは自分が死んだ後も、主が告げられたようにその地を勝ち取り続けなければならないと伝えます。ヨシュア記23〜24章は、ヨシュアの告別説教であります。
私たちは安住しているとき、これ以上戦いたくないと思います。
クリスチャン生活も表面的に安定しているとき、もうそれ以上のことはしなくても良いと思ってしまいます。でも、そこから衰退が始まります。。。それは、私たちの霊的な領域についても同じことが言えます。まだ勝ち取るべき領域があるけど、それに向き合うと、また大変な思いをしなければならないと思って、その問題には触れないようにしようとします。神さまは私たちに、キリストにあるあらゆる霊的祝福を与えたいと願っているのに、その祝福を受け取ることに私たちは妥協してしまいます。大切なことは今の私たちの現状から、主が私たちに何を用意してくださっているのかを絶えず見ていくことであります。ヨシュアは、次世代に信仰の目をもって神さまが成されることを見続けるように願います。
私たちは何を見ているのでしょうか?
子どもたちを見るとき、教会の働きを見るとき。。。問題でしょうか、それとも問題の背後にある神さまの備えを見ているでしょうか。荒れ狂うヨルダン川でしょうか、それともヨルダン川の中にある開けた道を見ているでしょうか。どうしても変われない自分を見ていますか、それとも御霊により新しくされた自分を見ているでしょうか。まだやるべき使命が残っています。もっと味わうべき神の国の祝福、約束があります。信仰のレースを最後まで喜びつつ走れますように。お互いにイエスさまを見上げて歩んで行きましょう!