岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.9.8)より
聖書箇所:箴言 1章 1節〜7節
主を恐れること = 知恵を持つこと
今回からダビデの子ソロモンによって書かれた箴言を見ていきます。今日のみことばは箴言全体の標語(テーマ)でもあり、箴言の中には所々に同じようなフレーズが出てきます。そのことによってその都度「主を恐れること」「知恵を求めること」「それが最も基本(はじめ)であること」を何度も学んでいくのです。そしてそれは私たちの一生を通して「主を恐れること」=「知恵を持つこと」の本質と重要性を学んでいくことでもあります。
「これは、知恵と訓戒を知り、悟りのことばを理解するため、」
2節に、この書物の書かれた目的が2つ述べられています。
1つは「知恵と訓戒を知る」こと。それは主の前に正しい生き方をすることができるように、知恵により訓練されることです。もう1つは「悟りのことばを理解する」こと。つまり物事を判断する識別力を身に付けることです。ソロモンの治世のイスラエルの特徴は、平和と繁栄でした(それはダビデのおかげでした)。国々との間に平和があり、また神さまによって与えられる安息がありました。それを支えていたのは神さまからの知恵であり、その知恵によって生活の基準を判断していたからでしょう。しかし、すべての人がそうであった訳ではありません。安定は妥協を生み出すことにもなります。
4節「浅はかな者を賢くし、若い者に知識と思慮を得させるためのもの。」
「浅はかな者」「若い者」の特徴は、未熟さです。若者は勢いがあり、いろんなことにチャレンジする力はありますが、知恵が未熟なために愚かなことをしてしまいがちです。だから訓練が必要なのです。私たちは皆、自分の未熟さを知り、そのこのに対して、神さまからの戒めを聞く必要があるのです。5〜6節。知恵ある者、分別のある者の特徴は、その失敗からよく学び、良く調べてそこからヒントを得ていきます。そのことを通して導きを得ていくのです。
7節「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」
「主を恐れること」とは、「神さまの主権を認めること」です。それは「神を信じること」であり、「神を敬うこと」でもあり、「神に従うこと」でもあります。そして、その知恵は「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」コロサイ人への手紙 2:3
キリストを知ること、キリストを敬うこと、キリストにあって物事を見ていくこと、これが知恵であり、知識であると聖書では定義しています。その知恵を第一に、「最優先事項」としていくことが知恵の初めの一歩です。私たちの生活の中に「主を恐れること」を最優先にする心があるでしょうか?そのために、この箴言の学びが祝福されることを祈ります。