「隠された宝を探し出す喜び」箴言の黙想 学び第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.9.15)より
聖書箇所:箴言 2章 1節〜6節

「わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちに蓄え、
 あなたの耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、
 もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、
 銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、
 そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。
 主が知恵を与え、御口から知識と英知が出るからだ。」
箴言 2章 1節〜6節

私たちが神さまのみことばを受け入れ

蓄え、耳を傾け、心を開き、声をあげ、隠された宝を探すように知恵を求めるなら、私たちは「神を知ることを見出すようになる。」とあります。隠された宝(金銀、宝石)を探り出すことは、どれほど多くの努力と根気と犠牲が必要になるでしょうか。そして、もしそのお宝を見つけ出したならば、その喜びはどれほどのものでしょうか。そのように神さまのみことばも、すぐに真理が分かるわけではなく、探求し、犠牲を払う者が「神さまを知る喜び」を見出すことができると言うのです。イエスさまも天の御国について語るとき、しばしば“たとえ”で話されました。イエスさまが“たとえ”で話されるのは、分かりやすく説明するためだけではなく、知りたいと求める者が真理を見出すためのものでした。探求しないと真理は分からないのです。

多く赦された者は、多く愛するようになる

イエスさまはある箇所でこのように言われました。

「天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます」
マタイの福音書 13章45~46節

私たちは神の国の素晴らしさをどれほど知っているでしょうか?どれくらい知っているかは、私たちの日々の生き方に表れてくると言うのです。「多く赦された者は、多く愛するようになる」とイエスさまが言われたように、神さまをどれだけ愛するかは、私たちがどれだけイエスさまの十字架の恵みを受け取っているかにかかっているのです。

さぁ、どうでしょうか?あなたは、すべてを投げ打ってでも価値のある宝を見出しているでしょうか。真理を知ると、私たちの歩みが変えられていきます。みことばから、神さまを知ることの喜びを共に共有しましょう!ハレルヤ。

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