岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.9.29)より
聖書箇所:箴言 6章 1節〜5節
自分の口のことばによって、自分が罠にかかり、自分の口のことばによって、捕らえられたなら、」
箴言6章 1~2節
保証人になることの危険性
箴言3章27~28節では、隣人に助けが必要なときは、あなたがたはためらわずに善を施すようにと命じられています。しかし今日の箇所では、父の教えとして、保証人になることを厳しく禁じています。他人の保証人になることはダメなの?なぜ保証人になることが、大きな問題として取り上げられているのでしょうか。
それは、保証人になるとは神さまが与えている秩序を越えて、自分の能力以上のことを誓約してしまう危険性があるからです。親として、子どもたちが一人前になるために見守っていくのは親の務めですが、他人の人生の保証まで限りある私たちの力で保障することは誰にもできません。また保証人になるとは、神さまが与えられた財産だけでなく、配偶者や子どもたちにも多大な影響を及ぼす危険性があるためです。自分だけの責任では収まらないからです。そのため父は、子に保証人になってはならないと教えました。
お金を貸すときは、与えると思って貸す
そしてそれだけではなく、もし誠実に負債を返そうとしない人の保証人となっているなら、狩人の罠から抜け出すように、何とかしてその義務から抜け出るように強く勧めています。クリスチャンが理解すべきお金の貸し借りの原則がここにあります。お金を貸すときは、お金を与えることだと思って貸すことです。自分が“与える“ことができる額を考えて、それを貸すことです。その時大切な心構えは、返ってくることを期待しないということです。私たちは隣人を愛することと、隣人が自分の責任を負うことに関して、正しい知恵をもって、責任のある選択をしなければなりません。
保証人になるということは、その人の親になる覚悟が必要です。友だち感覚や、善行のために保証人になることは避けましょう。それが主を恐れることでもあるからです。ハレルヤ!