岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.11.3)より
聖書箇所:箴言 11章 13節
ここで「人を中傷して回る者」とは
自己義に立っている者の姿です。自分の正しさを主張するために人を罪に定めます。それは、その人自身に傷やねたみ、赦せない心があるからです。クリスチャンになったとしても、うわさ話や人からの秘密話に私たちは興味を持ちやすいです。しかし注意しなければならないことは、うわさ話や中傷は神さまから出てくることはありません。そこには、分裂と争い、死の霊がはびこっています。霊が忠実な人は、中傷を言いふらすことはありません。その人は平和を作り出すことに時間を使います。その人は、聞いた中傷話を内に秘めます。そして祈ります。その人の内に平和があるからです。その平和とは、神さまから義と認められている恵みを自分自身で体験している人の内にあります。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」ローマ人への手紙 8章33~34節
人を中傷する、非難する、罪に定めようとすることはサタンの手段です。
サタンの方法は、私たちをおとしめて神さまの恵みから私たちを引き離します。しかし、聖霊さまは私たちが罪を犯すとき、イエスさまの十字架を示してくださり、その罪を明らかにして悔い改めへと導いてくださいます。そして、イエスさまご自身は、天の父の御前において私たちのためにとりなしてくださっておられるのです。霊が忠実な人は、そのことを良く知っています。私たちが出来ることは、人々が悔い改めの実を結べるように祈ることです。中傷では人を救うことは出来ません。平和を作り出す者でありましょう。私を霊が忠実な者としてください!イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。