神の視点から自分の人生を見る

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2024年6月号より

私たちの人生に対する価値観、見ている視点が、私たちの生きる方向性を決めていくことになります。自分の人生は自分のものだから、自分の好きなように自由にすればいいと思うなら、その人生は儚く、あなたの人生に本当の意味を見出すことはなかなかできません。聖書は言います。
「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」
詩篇 24:1

私たちの人生におけるいのちも、時間も、才能などの賜物もすべて、神さまから大切に管理するように与えられている預かりものです。自分のいのちさえ、自分のものではありません。私たちが自分で持っていると思っているものはすべて、家も地位も、自分が稼いだお金さえ神さまから管理するように預かっているものにすぎません。そして神さまは、この地上で与えられるすべてのものに関して、私たちがそれらを忠実に管理するようにと願っておられます。

「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」
マタイの福音書 25:21

神さまがあなたに願っているのは忠実さです。神さまは、私たちから能力以上のものは要求されません。与えるのも、取られるのも神さまの計画のうちです。神さまはあなたに預けた祝福を、あなたが喜んで忠実に活用することを期待しています。2人の忠実なしもべは、神さまの視点から自分を見れていました。自分は失敗もするし、弱さもある。もしかしたら預かっているものを失ってしまうかもしれない。でも彼らは、それらを使うことを選びます。彼らはいきなりそのタラントを倍に増やしたのではないと思います。試練やテストがあり、失敗もしたことでしょう。でも彼らはそれらを使うことを選びます。なぜなら主はすべてを備え、生かし、導いてくださる良いお方であることを知っているからです。

神さまが私たちにすべてのものを任せて預けられたのは、私たちが神さまの愛を知り、その中で楽しみ喜ぶためです。神さまの視点で自分を見るとき、預かったものを使った時点で、それらを失う心配をする必要はありません。全き愛には、恐れはないからです。神さまがどれほど私たちを愛しておられるかを知ることが、十字架を負うことであり、そこから本当の人生が始まっていくのです。
ハレルヤ。

牧師 佐藤耕二

日本語訳聖書は「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」を使用しています。

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