信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2024年7月号より
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
第2コリント4:18
私たちの地上での人生は一時的であり、限りがあります。どんなに裕福になり、名声を得たとしても、その人生には限りがあります。イスラエルの王として最も栄えたソロモンでさえ、そのはかない人生について繰り返し語っています。でもその限られた人生の中で真理を見出し、永遠に変わることのない喜びを見出すなら、その歩みはなんと幸いで、私たちに生きる価値を与えてくれることでしょうか。
私たちの目に見える物質的な繁栄、華やかさ、成功は、私たちの目をそのことに執着させます。
それらが羨ましく、それらを持つことができないと自分が惨めに感じてしまうことがあります。その繁栄により、自分の幸せを判断してしまうことがあります。でもみなさん、聖書では目に見えるものは一時的であると言います。それらは一時的な快楽、一時的な優越感、一時的な幸せであると言うのです。その一時的なものに囚われて歩むことを、罪の奴隷と言います。
私たちは見ている視点を変える必要があります。一時的なものに自分の人生を賭ける必要はないことを知らなければなりません。その一時的なものに執着を持ち過ぎないことを知る必要があります。
イエスさまは言われます。
「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
ルカ12:15
「しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」
ルカ 12:20~21
聖書は言います。目に見えないものにこそ価値があると。なぜなら、それらは永遠に残るからです。
「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 第1コリント13:13
私たちは目に見えないものに価値を見出し、この一時的な人生の中で与えられた恵みを喜ぶのです!この地上での私たちの歩みは、イエスさまと出会った時からもう天の御国の影であり、私たちの実在は天にあります。だからこそ、限られた人生の中で与えられた時間を喜び、大切にし、神さまをワーシップしつつ生きていきましょう。
ハレルヤ!
牧師 佐藤耕二
日本語訳聖書は「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」を使用しています。