信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2024年8月号より
「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。」
創世記 1:31
神さまが天と地とすべてのものを創造されたとき、神さまはそれを「良し」と見られた(25節)。しかし、31節で改めて「見よ、それは非常に良かった」と言われます。この25~31節の間に何があったのか?
それは人間の創造です。「非常に良かった」。そこにある神さまの喜び中心は「人」の創造であり、神さまの喜びのために人は造られました。それほど、人はスペシャルな存在であり、神さまの喜びなのです。
それは何か、人が良い務めをなしたから「非常に良かった」のではなく、アダムの存在自体がスペシャルであり、神さまはその存在に満足されたのです。
その存在とは、神さまの栄光の中で生きることです。神さまの臨在(喜び)の中で生きることが、私たちの存在の一番の目的です。神さまは、私たちを神のかたちとして創造されました。神さまの息が吹き込まれ、生きる者となりました。
神さまは感情豊かな方です。あわれみ深い方であり、涙を流される方。愛に満ち溢れ、喜び、楽しまれる方。ときに怒りを覚えられ、嫉妬する方でもあります。それほど神さまにとって私たちは喜びの存在なのです。
だから私たちが神さまの前で、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝することが神さまの喜びであり、私たちの創造の目的です。そして、それがワーシップと言います。神さまの喜びの中でする、あなたのすべての感謝と祈りが礼拝なのです。美味しいものを食べて喜ぶことも、ふかふかのベッドで眠りにつく喜びも、すべての感謝が礼拝なのです。
礼拝は、教会に来てささげる一時のことではなく、私たちの人生そのものなのです。神さまの栄光(喜び)の中で新しく生まれた私たちは、神さまの栄光(喜び)を現すためにすべてのことをしましょう。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
コリント人への手紙 第一10:31
牧師 佐藤耕二
日本語訳聖書は「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」を使用しています。