「オープンドア」箴言の黙想 学び第13回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.12.1)より
聖書箇所:箴言 18章 1節

「自らを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、
 すべての知性と仲たがいする。」

自らを閉ざす者とは、

何に対して自分を閉ざしているのでしょうか?何度も言うように、箴言のテーマは「主を恐れる」ことです。「主を恐れる」ことに心を閉ざす者は、自分の欲望、つまり自分の思うがままに事がなるようにと求め、すべての知性と仲たがいします。ここでの「すべての知性」も、箴言のテーマ、神さまのことば、イエスさまの歩みそのものです。自らを閉ざす人は、なかなかみことばに仕えることができません。イエスさまの十字架に喜んで従うことができないのです。もし神さまとの関係、神さまを愛すること、賛美すること、ワーシップすることに抵抗があったり、みことばに従うことが苦痛に感じたり、疑問に思うことがあるなら、それは私たちの心を神さまの前にオープンに出来ていないことが原因かも知れません。もっと大胆になりたいのに、もっと自由になりたいのに、なかなか知性=みことばと仲良くすることができない。そんな私はどうしたらいいんでしょうか?どうしたら、みことばと仲良くできるんでしょうか?

ひとつヒントを与えます!

あなたの人生にみことばを適応させるのではなくて、みことばにあなたの人生を適応させてみてください。あなたの人生に、いいとこ取りで都合よくみことばを適応するのではなく、みことばそのものにあなたの人生の土台を据えてみてください。決断して、実行してみてください。一度そのコツを掴むと、みことばによって生きることがスムーズになってきます。もしあなたが自分でぎゅっと握っていて手放せないものがあるなら、それこそ喜んで主の前に明け渡してみましょう。手放して分かることかあるんです。いや、手放さないと分からないことがあります。従ってみて分かることがあるんです。いや、従わないと分からないことがあるんです。

オープンドアの祝福

その時に、ほんとうは何が必要なのかをハッキリ分かることがあります。実は私たちは、本質じゃ無いことを一生懸命握っていることが良くあります。心が開かれると言うことは、私たちの思いが崩されると言う感覚が私にはあります。誰でもプライドや、見栄、自己義から解放される必要があります。神さまの前に心を開く者は、神さまの恵みを素直に受け取るように変えられ、みことばが喜びに、イエスさまが友だちになります。さぁ、オープンドアの祝福を受け取りましょう。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする